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ここ富田地区にも 日本一やかましいと云われる「石取り祭り」があリます。
祭車は富田地区に3台あり、いずれも大正時代に桑名から購入もしくは
譲り受けた物です、この祭りを大切にして来た町民によって今は、桑名の
石取りに負けない熱気と演技のうまさがあります。

8月/13(日)・14(月)
各町巡行  (各町内) 詳細はここから
※雨天中止の場合15日(火)に順延し15日(月)予定の三車連合 石取祭車巡行は中止 
8月15日(火)    三車連合  石取祭車巡行
 国土交通省前  こども演技・揃い叩き   16:40〜17:20
 鳥居前前  青年会叩き出し         17:45〜18:00
 證圓寺前                 18:40〜18:53
 常照寺前  子供叩き合わせ        19:00〜19:10
 旧東海道十四橋付近           19:20〜19:30
 西町公会所                19:50〜20:03
    近鉄富田東口  総叩き            20:15〜20:35
    マルショウ前交差点  引き分れ     20:50〜21:20 
 
なんといっても、鳥出神社で見るのが最高です。
富田の祭車が一同にそろい、それぞれの自慢の祭車と腕自慢を競い合います。
チキチキ・ゴンゴンの鉦(かね)と太鼓の調子を聞くと地元の人にとっては、
祭りが呼んでいるような、気持ちになるそうです。
若い男衆や女衆の活気と太鼓と鉦の音にきっと心を揺すぶられることでしょう。
石取りは、もともと桑名の祭りで 町屋川(員弁川の下流)で、栗石(握りこぶし程の御影石)
を採取し春日神社に奉納したのが始まりで 、石の奉納は石信仰によるものか、
社寺修理などの実用的なものか 定かではありませんが、慶長の頃(戦国時代)から
連綿と受け継がれています。初期には、新しい俵へ栗石を入れ笹竹に御幣を添えて、夜は提灯を
つけて 神社に参拝し、神殿の階段下に奉納して帰るという素朴な祭りであったようです。
その後、小さな車に竹の枠を組み しめなわを張り,鉦や太鼓 笛などで囃しながら神社に
石を奉納したようです。江戸も中期になると、木枠もしっかりしたものになり、
鉦や太鼓も今日のような大型になり、後期には現在見られる様な祭車形式になリました。
又桑名の石取祭は比与利祭(ひよりまつり)の一行事でありましたが江戸時代に分離して
いったといわれています。
(桑名の石取祭は平成19年3月国重要無形民俗文化財指定)
 
茂福町

特徴は彫刻に有ります。文政9年に作られた祭車には、

「野々垣」の名が墨書きされており、その頃このあたりで名の

知れた名工であったようです。明治32年に桑名三崎通り西之組

から赤須賀一番組に譲られ、さらに大正12年赤須賀から茂福へ

譲られました。その時は白木の祭車で改修漆塗りを終えて祭車を

曳き廻した時、漆かぶれの子供が随分出て困ったと伝えられて

います。 祭車は一重台輪の亀腹型、天幕には、「唐獅子牡丹」

が描かれています。   囃子は七っ拍子。
北村町

文政年間に作られ大正10年に桑名の赤州賀より購入。

現在はケヤキの白木で出来ています。

祭車は一重台輪の亀腹型、太鼓掛け彫刻に花桐に鳳凰、

額の金糸に唐獅子、天幕に 「麒麟」 が描かれています。

近年新しく太鼓を替え胴回り2尺8寸(約84p)と

富田では一番大きいのが自慢です。

囃子は七っ拍子。
西町

1847年から1859年頃に作られたと推測され、

大正11年に桑名の旧東舩馬町祭車から譲り受けた

もので、当町の古老の話では「祭車は町屋川原まで曳かれ

ここで引き渡された。桑名からの見送りの人々、

当町からの出迎えの人々で付近はあふれており、ここより

富田まで賑やかに囃して帰った」と伝えられています。

富田の中では一番古くから石取り祭りを行っており、

祭車は水引幕・胴幕型、天幕は「鳳凰(ほうおう)」が

描かれています。    囃子は五っ拍子。